
意識が目覚めるよりも先に、感覚があった。
薄っすらとした覚醒と同時に何となく手足や躰を感じる、などといったものではない。もっと精密で、精緻に構造化されていて。
そして膨大な、感覚。
体表の、体内のそれじゃない。外部の。
いや、外部ではない。厳密には。線なんて引けない。外から「それ」がぼくに感覚を流し込む、というのとは、ちがう。
起動した「それ」と覚醒しつつあるぼくは強固に接続*されて、ある意味では一体だからだ。境は、無い。
「ぼく」?そうだった、ぼく、だ。その言葉が何となく曖昧に浮かんだあたりで、意識の主体としての自分というものが徐々に立ち上がってくる。言葉として、その形を整えながら、徐々に。
それでいて、感覚の方は、相変わらず膨大。そして、速い。明確にイメージができるたくさんの情報が解像度と、同時に全体を俯瞰できるような情報の総体として知覚できる。知覚できるそれ/それらが、ものすごい速さで遷移していくのを眺めている。そんな感じ。
既視感だろうか。
それとは、少し、ちがう。もっと鮮明に、「目が覚めたら、既に知って理解していた」、というような状態、そのように言えばより近いだろうか。
完成している景色を見ている感じ。
個々の要素には接続せず、それでいて目前の光景の全てから、何かを感じている、漠然として、ではない。きわめて精緻に。
光景。しかし、いまの状態は、根本的にちがう。
ここでは。
ぼくがいま居るここでは、光なんて贅沢なものは、一筋だって差さないのだから*。
目は覚めている。居る場所。自身の姿。置かれた状況。そんなようなものを、いまのぼくは言葉で説明できる。当たり前だ。ぼくらは、言葉を話し、それを使って自らの意思や思考、自身の形、周りの形。「自分がいま、どこに居るのか」といったあれこれを明確に意識に定着させる機能を持っているのだから。
どこに居るのか。広い。「広い」と感覚する以上に果てが無い色も光も無い空白の真っただ中。
その中を、もの凄いスピードで飛んでいる。
参照点も、比較対象も何もない空間を、それでも「もの凄いスピード」と言えるくらいだから、生半可な速度じゃない。光速を超える。
それこそ、言語化すら許さないくらいの圧倒的な速度で。
そう。ここは、通常空間ではない(通常空間では、なにものも光速を超えることは無いという原則を忘れずに)。通常空間における座標、距離、時間。そうした物差しが根源的に解体されて再構成され均された*、
暗黒もここにはないわけだけど。
進路の後方、通常空間に転写すれば40光秒ほどのところに、巨大な物体が居る。ぼくが進むのと同じ、凄まじい速度で疾駆しながら。ぼくの後方から、その大質量で超空間を掻き乱しながら。地球外惑星を探査し、その星を徹底的に作り変えて人間が住めるように改造する、そのための恒星船。
TFV/テラフォーミング・ヴェッセル*だ。
そもそも、なんで超巨大な恒星間超光速船などという大げさな代物を作って別の星に行こうとしているのか、それは知らないが。
もちろん、人間が自ら壊し過ぎて取り返しが付かなくなったらしい、それまでの居住地である地球の惨状と無関係ではないだろうけど。
しかし興味は無いし、特に教わってもいない。
恒星船の構造的なことについて言えば、
TFVは、単一の巨大な船、ではない。当たり前だ。恒星間の膨大な距離の中では、何も補充できない。損耗可能性は最大限で、リカバリできる余裕は最小限。潜在的な危険性は、分散した方がいい。
そんなわけで、TFVは幾つかの構成要素に分解できる。具体的には、通常20~50隻の、複数種の集簇した船団。その中枢となる、全長数十キロ以上の巨大な母船が、いまぼくの後方に位置する細長い、そして巨大な紡錘形の物体。周囲にやはり巨大な
その内部は、無人。生きて活動する人間は乗っていない。すべて自動化され、機械が制御し、自律的に航行、航路上の船体維持、必要なら修復、拡張といった諸々をこなす。船員がいちいち面倒を見る、などという必要性は無い。船員のための住環境、生命維持装置だって必要になるわけだし(ここが、きわめて孤立した、何も無い広大な空間だってことを思い出してほしい)。
そもそも、「内部」などと呼べる容積自体、無い。
ありていに言って
たしかに、その全長数十キロから、時に100㎞を超える船体の大質量は、航路上の基準点として貴重ではある。超空間の虚空の中にある、総質量51ギガトンの、ちっぽけな点以下のシミ。それが、ぼくらが虚空を飛翔する際に参照する
帰属先?おおげさな。
その
その前方には、大量に収束したセンサー。文字どおり、船の眼だ。
光学は、原則として役に立たない(ぼくが居るここは、超光速で進む航路上だ。一応、言っておくと)。センシングは、主に超空間/高次空間での測量を行う。通常空間における重力場は超空間にも影響を与え、歪ませる。それを計っているわけだ(光速の上限なんかも、いっさい無視する広がりで)。目的地の検出・探索、そして航路上障害の検知。それが、
もちろん、そのための火器*だって備えている。ちょっとした惑星くらいなら、容易に、跡形も無く吹き飛ばす程度のやつ。しかし、それをも超える「奥の手」を、
きわめて高速で飛ぶ、高火力の作業機。いや、もはやそれは「戦闘機」と呼ぶにふさわしいが、TFVにおいては、やや控えめにこう呼ぶ。
啓開/嚮導機は、異形の機体だ。その基幹は湾曲した背骨*であり、その脊柱には前方から、前に伸びた頭部、平たく左右に伸びる叉骨*、板状に左右に拡がる骨盤*、そして長い尻尾が接続されている。叉骨には、自在に可動する巨大なドライブモーター/
そのシルエットは、なんと表現すればいいか。たぶん、「デカい音叉を左右に携えた、鳥のできそこない」といったところだろうか。
その背部に、コクピットシェル。パイロットがそこに座し、それこそ指先一つの操作で、どれほど巨大なものでも一瞬で粉砕する。
いや、「指先一つで」というのは、ただの抽象的な表現。正確には、パイロットの神経系光化/鋼化処理*されたそれが機体と直結し、文字どおり自身の手足のように機体を操る。パイロットと機体は一体となり、ひとつの閉鎖されたシステムとして稼働する。恒星船の航路を開くために。
閉鎖されたシステム*。
パイロットが機体の外に出ることは、無い。コクピットシェルは常に密閉されパッケージ化された生命維持装置だ。専用のクルーズキャビン*、ハイバネーション容器*。さらには増設された長躯航行用の物質還元・循環用ドライバユニットも備え、母機からの補充は要するものの、機能的には自立した搭乗員用のバイオカプセルとでも呼べるもの。
ちなみに、紡錘形を成すコクピットシェルは、ほとんどその全面がキャノピーで、内部はほぼ丸見えだ。高度に閉鎖されているのに。ちょっとだけ矛盾していて少し可笑しい。
その、啓開/嚮導機のコクピットが、いまぼくが居るところだ。
検知された航路障害が発したアラート*によって叩き起こされ、わずか3秒で*パワープラントである
いまはもう、完全に覚醒している。覚醒した意識は、すでに膨大な情報の奔流の中に在る。次々にぼくの頭脳/
なんなら、それらが内包する危険なくらいの破壊力だって、具体的にイメージできる(ただし、そんな些事に注意を向ける余裕など、いまは無い)。
航路情報、進路上の状況。急接近する物体の速度、予測進路。物体が何であるのかは、まだわからないが、この速度だ。自然物体は、超光速を出したりしない。すでに啓開/嚮導機の頭部センサーは高出力のアクティブ超空間センシング*を開始して、前方象限を注視しつつ、
それらの情報を俯瞰する。意味に解体することなく。個々の要素に分解することなく*。それは、覚醒前と同じだ。超光速下で行われる戦闘と機動に、言葉というものが立ち入る隙など、本来無い。意味は、思考は、常に後からついて回る。
「フェンス*、1014、
全機体のシステムを最終チェック、締結されたぼくの思考も、すでに戦術を組み立てている。あと3秒もしないうちに、レール・カタパルト*によってぼくは機体ごと真空の虚空へ撃ち出される。ここでは何の役にも立たない視界が少しだけ狭窄する。呼吸が浅くなる。少しだけ。
そもそも、なんでぼくが起動したのか。考えるまでもない。「敵」が来たからだ。それに対抗できる手段。TFVの船内には、それは一種類しかない。ぼくら。船の舳先に磔にされ、必要時にはただちに射出され、強大な破壊力で進路上のすべてを焼き払い、粉砕する。
一四式
射出。無音で。
一連のシーケンスでは、ただの一つも音がしない。いや、コクピット内部の、わずかな可動部分が立てるカタカタいう音を除けば、だけど。
加速も、感じない。一切。
当然だ。
小翼のような叉骨の左右で同調するドライブモーターが超空間を切り裂いて、しかし一切の音も光輝すら伴わずに機体を猛然と加速。射出2秒で、戦闘速度に達する。
いま、2秒と言った?もちろん、ちがう。厳密には。機内の時間は加速され*、
どうでもいい。
前方、相対距離実空間に投射した仮想的な距離*が4400光時を切る。接近は速い。いつもと比べて。他と比べて。他? 接近しているこれは、何だ?
機動が単調すぎる。容易に予測できる。
ぼくの補助脳、側頭骨錐体に埋め込まれたそれが高速で処理するが、既存の戦術ルーチンによって推定した範囲を逸脱していない。稚拙。そう言ってもいい。ジワと口角が上がる。
加速。
目標のデルタ
また加速。
超光速で突進してくる3機。もちろん、視認はできない。それは、刻々その向きと速さを変えるベクトルとして、ぼくには知覚される。それでも、その進路は、機動の予測は、そして取り得る戦術はやはり単調だ。
あの「やっかいなやつら」ではない?
やつら。ぼくの僚機・炷鶏を、いまは
……思考にもならない直感に従いながら、ぼく/翆鴒のシステムは、最適迎撃位置を占位するため、なにより敵機の機動可能範囲を潰しに行くための機動パターンを算出する。機械の成さしめる高速演算に追随できる、ぼくの脳。そのために設計され、構築され、調整された、かつて地上を歩いていたヒトとは異なる神経系。
ワイヤーの束。それとも、光ファイバーに近いか?
それが織りなす思惟と意志は、ひたすらに眼前の障害を排除することに集中する。というか、眼を逸らすことを許さない。気を逸らす蓋然性を生まない、はずだ。
それでも、本来システムにとっては雑音になるような、薄っすらとした興奮、恐怖、剥き出しの闘争心。そういったものが、ない交ぜになって表出することはある。不思議だ。特に、いまみたいに、先に何があるのか漠然とした状況で、航路上に一人放り出された時は。
そして、そんな時は。
そう、敵を嘲笑うことだって、できる。
ふたたび加速している。やはり単調。間違いない。
連接した
仰々しい名前。
でも、所詮ただの機械に過ぎない。予測可能。そんな動きで、何かを「殲滅」できるとでも思っているのか?
常と異なる方位での近接はおそらく、ぼくらが寄り道したせいか。
……などという一瞬の思考を交えることができる程度には、状況は充分に制御範囲内にある。
冷静?
いや、それほどでも。いまのぼくは、もはや闘争心を隠しもしない。
しかしそれは。ヒトが石斧で殴り合っていた時のそれ、内部で完結する神経/内分泌系の生理的反応とは、やはり根本的に異なる。原・ヒトとは違う形に作りなおされ組み立てられた中枢神経系および精神構造が成す本能と、それが接続する機械が融合して形成される、外敵を排除するための思惟。
戦闘意識と呼ばれるもの。
その意識が捉える、敵の動き。前方2600光時を突進してくるベクトルは急いたように併進し、互いの軌跡を擾乱させることもしない愚直。十全に予測し得るその機動は、やはりただの機械だ。応じて、こちらも加速。
目標が、いつ進路を変えるか。撃ってくるか。どちらに回避するか。すでに思考にまで立ち上る程度には掌握されている。距離2100、間もなく射程内。
並び急接近するベクトルが分離。散開してこちらを包囲しようとする。予測のとおりに。
同時に射撃が来る。向こうも超空間破砕砲*。突き刺さる射線は逃れようのない死線を形成するに見えて、しかしこちらは余剰加速で航跡を欺瞞している。なお進路を欺きながら交差する3撃を躱し、同時に包囲する敵のベクトルが描く三角錐形をした機動領域の重心を突き崩すべく、
射軸固定。歪な翼のような骨盤・右内舷の六番武装腕で懸吊する武装がうなりを上げて空間を薙ぎ払う。
いまは機体の下部に携える
そこに、物体があれば。
機動しつつ、さらに急接近する3機。数は変わらず。それも当然。端から当てるつもりなぞ無く、ただの牽制に過ぎない。
この距離で、この速度。3機それぞれの変更し得る方位角はすでに十分に狭窄して回避の余地は殆んど無い。さらに射撃。もはや罠として機能しなくなった三角錐を脱しつつ、
せせら笑う。
機動の余白をさらに削ぐ牽制の射線を後尾の一機が躱す隙に、本命を刺す。
一撃。粉砕する。超空間で速度を失った物体は、推進器が形成する遷移空間を維持できなくなり直ちに粉々になる。
失速すれば、原子以下にまで分解して消滅。ここでの厳格な法則。
同時に、周囲の超空間が擾乱され*、擾乱された質量波が荒れ狂うそこでは何一つ捉えることはできない。質量も、進路も、速度も。それが致命的な隙となる。さらに射撃を「置いて」から、突っ込む。
こちらだって、見えているわけではない。閃光でも暗黒でもない空白に生じたさらに不可視の領域、そこに在るはずの二つのベクトルは、それでも明確に捉えられる。方位も速度も予測は一点に収束して、逃げ場はない。続けざまに射撃。さらに空間が掻き乱され、命中したことを知る。もちろん、
二機ともを串刺しにした、などという悠長な考えなんて無い。
どこから来る?
正面。 少し、意外。
たぶんぼくはいま、狂気じみた笑顔だろう。いい動きだ。
残り一機。
ぼくは左のブレードホルダーから、斬撃・投擲用ブレード*を抜き放つ。





